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長編小説 霧のなかの巨塔  第50回

第三章 美しき旭日

■銀色の月③

「わあー、おいしい……甘い……! おいしさが体中にしみ込んでいくみたい……」恵美が感激した大きな声でいう。

恵美の声に応える人はいない。逸平も源吾もテレビの画面を見ながら黙々と梨を食べることに熱中していた。

「あなた、梨はよく噛んで食べないと……きのうまで減食をしていたのよ、気をつけないと……」夢中で梨を食べている逸平に恵美が驚いて注意する。

「ハッ、ハッ、ハッ、お父さん、お母さんから子供みたいに叱られた……ほんとだよ、断食や長期の減食のあとは腸が細くなっていて、急に沢山食べると腸閉塞を起こして生命の危険が生じるんだよ……」博樹は逸平と恵美がセンターで教えられてきた注意事項で、いちばん強調されたことを、はっきりといった。

「センターへ行ってもいない博ちゃんに、あなた、完全に一本取られたわよ、でもすごい、博ちゃんの知識は……!」

「なんの、なんの、これしきのこと、雑学の一つだよ」博樹は祖父のログセを真似しながら、すました顔でいう。

「参ったなこれは、何処でそんなことを覚えたんだ?」逸平も驚きをかくせない。

「まえに、雑誌の断食道場取材記で見たんだよ」

「そうか、よく覚えていたな、感心するよ。あ、そうだ、断食の話で思い出したよ。山本常務と畑中先生にお礼の電話をしておかないと、まだ九時前だから電話してもいいだろう……」

逸平は立ち上がりながら恵美にいう。

「そうだわね、お願いします。ご都合がいい時間を聞いておいて下さる?」

「ああ、明日は日曜だから、あさって月曜日のご都合を聞くことにしようか」

「ええ、お願いします。わたしは出なくてもいい……?」

「うん、今度いっしょに行くんだから、いまはいいよ…」そう逸平はいうと居間の子機は使わずキッチンの親電話へ向かう。

「ねえ、お母さん、オーフの話……」正樹が待ちきれないというように母を促す。

「はい、はい、そう途中だったわね。でもお義父さんも、お義母さんも、こんなオーラの話なんか…」恵美が遠慮がちにいう。

「恵美さん、聞かせてくれよ、わたしも和江もその話を聞いて少なからず興味をもっているんだ。普通の人間は見ることができない、その謎ともいえる超エネルギーのことを……」

「ほんとよ、恵美ちゃん、聞かせて……わたしも知りたいの……あら、テレビは消しておくわよ……」

和江は皆を見回しながらいった。

「うん、お願い、おばあちゃん。誰も見てないから」

 

恵美は水上医長が説明したオーラについての話をはじめる。

「センターに水上先生という内科医長がいらっしゃったの。お母さんの主治医だった先生よ。入院した日の入院時検診のとき、先生がわたしを見て声を出して驚いた顔をされたの。わたしも、びっくりしたわ。何か悪い様子が出ていたのかと思って……でもそうじゃなくて、反対にいいことで先生は驚かれたの『姿さん、あなたの全身から放射されているエネルギーは実に強烈ですよ。オレンジ色というより、金色に輝いているオーラです』っていわれたの……」恵美は博樹と正樹の目を交互に見ながら話をする。

二人とも母から面白いおとぎ話を聞かせてもらっているかのように、真剣な眼差しを母に向けていた。

「……水上先生のオーラを見ることができる能力は、ずっと以前のことだけど、朝、目覚めたとき突然に生じていることに気づいたんだって……」

「いいなあ、朝、起きたら超能力が生まれていたなんて。何か魔法の世界へ行ったみたいな不思議なことだね……」

正樹がうらやましそうにいう。

「ほんとだわね。水上先生も、そのときにはすごく驚いたんだって……目の前にある鉢植えの植物が、その葉からいろいろな光を発していたんだって。枯れかけた葉からは微かな光が出るか、ぜんぜん出ていなかったし、逆に若くて元気な葉からは強い光が出ていたんですって。このオーラというものは植物も動物たちも、また人間でも、地球上にいる生物の全部に、その生命力というのかしらね、健康状態の程度によって電気的な、特殊エネルギーが空中に放射されているんだって……木の葉一枚、花びら一枚でも、チョウチョや蚊、イヌやネコ、ネズミでも、その生命力によって強弱の差はあっても、いつでも放射されているんだってよ、眠っているときにもね……」

「木の葉や花にまであるの……?」和江が信じられないというように驚いた声でいった。

「ええ、地球上のどんな生き物にもあるんですって。色はさまざまで青や白、ときには赤い色もあるそうよ。でも、赤や青といった色が出ているときは、その体の生命力が弱っているあかしなんだって……いちばん強いエネルギーを示しているのは金色かオレンジ色で、金色が最高の強さだそうよ……」

「すごい、お母さんのは、その金色なんだ……! そのオーラってさ、どうしても超能力者だけにしか見えないの……?」

正樹は、それを見ることができる人間になりたかった。

「このオーラというエネルギーは次元……お母さんにも、はっきり分からないけど、わたしたちが生活しているこの空間とは別の空間にあるものだって。だから、これを見ることが出来る人は別の次元のものを見る能力がある人か、キルリアン装置という異次元のエネルギーを測る特殊な機械がないと捉えることができないの。お母さんも自分のオーラというものを見たいんだけど、そんな力はないから残念だわ……」

「練習によって磨くことができる能力じゃないんだね。まったく残念だ」正樹は両手でテーブルを軽く叩き残念がる。

「ねえ、お母さん、お母さんのオーラがさ、ほかの人よりも強いんじゃないかと思えるような、何か感覚といったものあるの……?」いままで黙って聞いていた博樹がきいた。

「そうね、他の人よりもと思ったことはないけど、体のエネルギーが、いつも溢れ出ているような感じは今もあるわ。ずっと前のこと……わたしが帝北大学病院で最初の手術を受けたでしょ、……それから二日ほど経った頃だけど、いままでに感じたことのない、こんな病気に負けてたまるものですか、という激しい気力が湧いていることに気づいたの。朝、起きたときにね……そして体が軽くなっていることにも……」

いま話をしている恵美の姿を、もし水上医師が見たならば、前にも増して金色の眩しいばかりのオーラが炎のように揺らめきながら、全身から立ち上がっているのに驚いたことだろう。

「……この話は、お父さんとわたしだけの、秘密ということにしていたことなんだけど、わたし、こんなに完全に元気になれたでしょ……? だから、ほんとのを言っちゃうわね……手術のあと、意識が戻ったとき自分の病気は、お父さんがいったような胃潰瘍なんかじゃないと思ったの。それまでの症状から考えてね……その日の夜だったと思うけど、お父さんと二人だけのとき思い切って聞いたの、お父さんに本当のことを教えて、わたしの病名はガンだったんでしょってね。お父さん、困った顔をして、いや、胃潰瘍だったって頑張ったわ。でも、わたしも頑張った…… ガンだって聞いても、わたし絶対に悲観しない、必ず治ってみせるわ、だからもう、わたしにウソをいわないでって…… お父さん、本当のことを教えてくれたわ。『恵美、恵美の食道と胃、さらに肺臓と肝臓もガンに侵されていたんだ、出血していた胃は取ってしまうことができたけど、食道と膵臓、肝臓のガンは手の施しようがないということで、そのままになっているんだ……』って。そのときのお父さん、声を出して泣きながら、わたしに謝ってた……そのときのお父さんのこと、これからもずっとわたしには忘れることはできない……」

目前の壁を見ながら話す恵美は泣いていた。源吾は下を向いている。和江は恵美を見ながら目頭をおさえていた。博樹はじっと母の顔を見つめ、正樹は鼻をすすっている。

「……お父さん、涙を流しながらいってくれた……『恵美がここまでガンに侵されていたというのに、自分は何もしてやらなかった。それが悔やまれてならない……許してほしい。これからは恵美と二人でガンを治すべく頑張っていこう』ってね。わたし、そのときに思ったの。お父さんのためにも、博ちゃん、正ちゃん、また梨香ちゃんのためにも、こんなガンなんかに負けてたまるかって……」恵美の声はもう震えていない。いまは博樹や正樹を見ながら話していた。

「……絶対に負けないわよ! そう自分に誓ったの。お父さんはそのとき泣いていたけど、わたしは涙が出てこなかった。だって自分が思っていたとおりだったんだもの。よし、わたしの体を我がもの顔で蝕んできたガン細胞を、きょうからは、わたしが一つ一つ踏み潰してやる番よ、覚悟してなさい……! わたし、必ずそうすることが出来ると確信してたの。お父さんに本当のことを教えてってお願いしたときも、もう体中から不思議な力が湧き上がってくるのを感じていたわ。その力のために自分で治せるという確信がもてたんだと思う。何処からその力が与えられたのか分からないけど、わたしが意識をなくしているうちに、この力が生まれていたような気がするの……」

「そういえばお母さん、帝北大学病院を退院するだいぶ前から見違えるほど顔色が良くなったものね。すごく元気になったみたいだったよ、な、兄ちゃん……」

「うん、ほんとだよ、確か二回目の手術が終わったあたりからすごく元気が出てきたみたいだったな……退院してからだって、すぐ家の仕事をしたりするんだもの……」

「なあ、そうだろ……? やっぱり、あの頃からお母さんは、スーパーマン……じゃない、超人母さんになっていたんだよ」

正樹が冗談をまじえて博樹に同調する。そんなところへ、スリッパの音をたてながら逸平が戻ってきた。

「なんだって……超人母さんがどうしたって……?」逸平は廊下から正樹に問いかける。

「お母さんの不思議な力がね、もう帝北大学病院を退院する前から、お母さんの体に生まれていたんだな、ということを話していたんだ。病気を追い払ってしまうほどの力をお母さんはもっているんだから、お母さんはスーパーマンじゃない超人母さんだなって正樹がいってたんだよ……」父の顔を見上げながら博樹が説明した。

「そうか、お母さんのことか。うん、確かにお母さんは、超人母さんに違いないな……今日の飛行機事故のときにもな……」

逸平はいたずらっぽい目で恵美を見ながら座る。

「あなた、やめて下さい、飛行機のなかのことは……」恵美には逸平が何をいおうとしているか、大体の見当はついていた。

「いいじゃないか、恵美。恵美の本当に落ち着いた様子に引き替えて、慌てふためいていたオレが実にみっともないことをしたと、反省したことなんだから……」

「わたしの様子なんか普通だったでしょ……? 何も変わったことなんかしてないもの……」恵美は逸平に抗議するかのように口をとがらせる。そんな少女のようなしぐさが、可愛らしさを強調していた。断食の効果によって十才は若返って見えるため、いっそうに愛らしくうつる。

「ま、夫婦のいさかいはそれまでにして、その話を聞かせてくれよ逸平。恵美さんのことを……」源吾が逸平を急かした。

「まあ、お義父さんまで、そんなお話するようなことは何もありません……」恵美はまた抗議するが、逸平も源吾もそんな恵美の言葉に動じない。

「いや恵美、勘違いするなよ、悪いことなんかじゃないよ、オレもこれから恵美を見習うことが必要だと思うことなんだ……」

逸平は真面目な顔で皆の顔を見る。家族のみなが、どんな話なんだろうと期待に満ちた目で逸平を見ていた。

「……そのとき、オレは思ったんだよ。恵美の驚くはかない落ち着きぶりは、恵美の体から強烈に放射しているというオーラと関係しているのではないか……またみんなが、あんな大きな事故にも拘らず、乗客・乗員の全員が無事だったという幸運は、あの増田機長の敏捷な回避操作によるものだということは間違いないが、偶然という幸運な部分も様々あったと思うんだ。そういった幸運をつかめた一つのことに、恵美の並みはずれたオーラという超エネルギーが不幸を幸運へ導いたのじゃないかとね……」

恵美を改めて見つめる逸平。恵美は恥ずかしいのだろう、下を向いたままだ。

「……オレたちが乗ったジャンボ機に小型機が衝突したときだった。ずっと前のほうの席にいた乗客が突然に叫んだ。『下から小型機が上がってきたぞ! 機長に連絡しろ……!』 確か男性の声だったと思うが、その動物的な悲鳴のような声は、いまも耳に残っている……もちろん、機長に連絡するような時間はまったくなかった。オレも叫んでしまったんだ。その声は周辺の人たちにも聞こえたと思う……『恵美…!頭を膝につけろ……!』ってね。間違いなく大事故になると思ったんだ。高速で飛行している機体に、いくら小型機といっても、これも高速の飛行機がぶつかってくるんだ、ただじゃ済まないと本能的に思ってね……」

みなは自分がそこにいるかのような感覚になっているのかも知れない。目を見開くようにして逸平を見ている。和江は顔をしかめて恐怖の表情を浮かべていた。

「……突然、機体が右に大きく傾くと同時にシートに体が押しつけられた。操縦室への正面衝突を回避するためパイロットが右への急旋回と急上昇をしたのだろう……フワっとした感じと同時にドドーン!という猛烈な音と振動、そして機体が引き裂かれるような金属音が機体を揺さぶった……機体は瞬間だったと思うが、上に突き上げられたようだった。オレはてっきり、もう墜落だと思った。そしてまた叫んでしまったんだ、『恵美、衝突しちまったぞ、オレたちの機に……!』ってね。それから数秒後くらいだったと思うが、機は何の異常もなく飛行しているのに気づいた…… エンジンの音も正常だった。そのとき、オレは全身に汗をかいていたよ。いわゆる冷や汗というものだろうな、オレは恵美を見た……オレの顔は恐怖でまだ引きつっていたと思う……しかし恵美はまったく取り乱していなかった。いつもと同じ冷静な顔をしていて、オレを微笑みながら見ていた……」

(つづく)

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