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長編小説 霧のなかの巨塔  第51回

第三章 美しき旭日

■銀色の月④

「……あのとき機内では男も女の人も、悲鳴を上げている人が沢山いたけど、もちろん、その一人はオレだった……恵美はオレの手を包むように自分の手を乗せて言ってくれた……『ちよっと、びっくりしたけど、大丈夫だったわね』って。顔色も変わっていないあの恵美の落ち着き方には、驚くほかなかったよ……」

「すごいなあ、お母さんつて……! 優しいのに、度胸もあるんだ、オレ、尊敬しちゃうな……やっぱり、お父さんがいうようにオーラが関係してるんだよ、きっと……」

正樹は母の顔をまじまじと見つめる。尊敬のまなこで……

「やめて、正ちゃん、そんな言い方は……ただ、そんな恐ろしいことになると思えなかっただけなの。それは怖かったわよ、衝突したときには……」

「でも恵美、以前の恵美だったら悲鳴を上げていたと思うよ。ずっと昔にあった地震のときのように。でも、今日の恵美は、まったく別人のように落ち着いていた……男のオレが、あんなにうろたえていたのに……」

「あなた、女というものは男性と比べて、歳とともに物事を冷静に捉えることができるようになるのよ。オーラとかそんなもののためではなくて、自然にそうなるの。何というのかな、そう……開き直りみたいなものだわ……」

「恵美ちゃんのいうとおりかもね。恵美ちゃんはともかくとして、わたしなんかは鈍感なほうだから、悲鳴を上げたくても声が出ないうちに事が終わってしまうんじゃないかしら。悲鳴を上げるヒマもないっていう……それはそうと、恵美ちゃんの顔や肌、ツヤツヤして、ほんとうに健康そうね。また、ずいぶん若返ったみたい……うらやましい、ほんとに不思議……」

和江は理解できない、というように恵美を見つめていた。

 

ここ東京の空も台風の余波か夕刻から低い雲に覆われていた。

時折り円に近い銀色に見える月が雲間からのぞくが、すぐまた雲の陰にかくれる。

風はないものの、台風が彼方を進んでいることを感じさせた。

逸平の家の周囲では秋の虫たちがその声を競って鳴きかわしている。逸平や恵美を囲んでの待ちに待った楽しい団欒……というよりも恵美の記者会見といったほうが適当な表現かもしれない。

博樹や正樹たちの質問は尽きることがなく、恵美の体験談はまだ続いていた。

恵美は逸平と二人だけの秘密としていた、逸平の恵美へのガン告知について、皆に話したことを逸平にさきほど伝えておいた。

そのことは外賀総合病院で、逸平から家族の皆に伝えてあったこと……知らなかったのは本人の恵美だけだったのだ。

健康そのものになった恵美。このなかで恵美のガンを秘密にしておく必要はまったくなかった。

 

「ねえ、お母さん……」博樹は分からないという顔でいう。

「……オレたちの常識としてさ、病気を早く治すには、まず栄養をつけて体力を増すことが第一だと教えられているよね……」

「ええ、そうね。お母さんもそう思ってたわ、博ちゃん。別府のセンターに入院するまではね……でも、ほんとうは、もっと前に手術を終わってから、おかしいなって思っていたの……」

恵美は皆の顔を見ながら話す。逸平は自分以上に健康そうな恵美を見て、人々が常識としてきた、いわゆる健康常識なるものの多くが、余りにも事実と異なることを、別府のセンターで教えられてきた。その浅川病院長や水上医長の講座を思い出しながら、恵美を話を聞いていた。

「……もし、病気を治すためには、栄養のあるものを食べる必要があるというのなら、お母さんは胃を全部取ってしまったのよ……栄養のあるものを食べようとしても、食べられないでしょ……? 二年か三年ほど経って、胃らしいものが出来るまでは、栄養をつけるほどの食べ物はとれないわ……帝北大学病院へ入院するまでのあいだ、失った血を補充するために輸血はだいぶされたと思うけど、大学病院へ入院してからは輸血は少しされたけど、栄養剤の点滴は一度もなかったの……これは畑中先生という権威あるお医者さん、別府のセンターへお母さんの入院を依頼して下さった先生なんだけどね、その先生がお母さんへの治療として、栄養剤の点滴と抗ガン剤の使用は決してしないようにって、大学病院へ指示して下さったの……」

恵美は卓上の湯飲みを手にするとお茶を飲む。子供たちの質問に答えることで口が渇いたのだろう。

「……だからお母さん、栄養のあるものなんか、ぜんぜん食べていないし点滴も受けていないのよ。入院中もお家に帰ってからも……でも、体の力がなくなるどころか、力が体の奥深くから湧きあがるようになってきたの。体も軽くなって……わたしたちが教えられた常識では考えられないでしょう……? このわけが、センターの先生から教えて頂いて分かったの。『千島学説』という新しい医学の教えでね……」

「千島学説…? 難しそうな名前だね」博樹が顔をしかめる。

「しかし、すごい先生なんだね、畑中先生っていったっけ……大学病院の先生に指示できるなんてね……」黙って母の話を聞いていた正樹が感じいったような声でいう。

「そうよね、あなた、教えてあげて。先生方のことを……」

「うん、その畑中先生はね、巣鴨にある東京内科・小児科センターの副総長をしておられる先生なんだ。東洋自動車時代にお父さんの上司だった山本常務と畑中先生は京都大学時代にボート部の仲間で、今も親友として交際しておられるようだ。そういうことで、山本常務が相談してみるようにと、紹介して下さったのが畑中先生とのご縁だった……その畑中先生が、お母さんの手術を担当した帝北大学病院の教授で外科部長の鬼塚博士と、偶然というか幸運だったというか、昔からの友人だったそうだ……お母さんの状態を畑中先生にお話したところ、ガンの療法は今の病院治療は安心できない、根本療法は断食治療が一番だとおっしゃって、別府のセンターへの入院をお世話して下さったうえに鬼塚教授へ、お母さんの治療上の依頼をされたんだよ。退院後は自分の病院へ転院させてもらい治療を続けたいと、話を合わせて下さってね。また、別府のセンターの病院長、浅川博士は畑中先生と同期の方で、無二の親友だそうだ。まったく不思議な縁というか、奇跡というか、お母さんの治療に関わってくれた先生方がみな、友人という関係だったんだよ。考えられないような奇跡だ……」

「ほんとに不思議な繋がりがあるんだね。また、畑中先生ってなんて親切な人なんだろう、そんなに権威ある先生なのに、お父さんにそんな世話までしてくれるなんて……」博樹が感激のあまりうわずった声でいう。

「ほんとだわね。なかなか、そこまでは無理よね。やはり山本常務さんのお陰でしょうね……」と和江。

「うん、もちろん、オレがただ訪ねていっても、そんなことまでしてくれないよ。山本常務が頼んでくれたからこそ、いろいろとお母さんのために、取り計らって下さったんだよ……」

「山本常務さんと畑中先生は、お母さんの命の恩人なの……でも、鬼塚先生は畑中先生からの依頼を受けたとき、余りいい気はしなかったでしょうね……」と申し訳なさそうにいう恵美。

「そうだったろうな、鬼塚教授は畑中先生と友人だというだけで、自分たちの治療方針を変えることはイヤだっただろうな。それは当然のことだろう。だけど畑中先生も世界的な内科治療の権威者だし、栄養剤や抗ガン剤が、却って体力を衰えさせることは医師の間でも常識になっていたんだ。もちろん、鬼塚教授もよく知っていたことだと思う……だけど、これはお医者が悪いわけじゃないよ。健康保険というヤツ、これの運用を規定した法律が悪いんだと思う。そういう薬剤を使わないと医師としての活動をしていないと認定されて、場合によっては健康保険適用医の資格を取り上げられることもあるそうだ。畑中先生も、今の治療は薬の使用に重点を置きすぎているといっておられた。ま、このことは、話をしていると、ややこしくなってくるから止めておこう……

話を元に戻そう。鬼塚教授は畑中先生の依頼どおりに、お母さんには栄養剤も抗ガン剤も、その他一切の薬を与えなかったんだ……一般の人たちが聞いたら、何も治療を受けていないというだろうけど、実際は薬を与えない方がよくなる病気が、ガンやその他の病気に沢山あるんだ。お母さんのようにな……」

逸平は話をきると皆の顔を順に見ていく。恵美以外は混乱したような顔で逸平を見ているだけだった。

何といっていいか分からない。沈黙しているほかないのだ。

「……それから、もう一つ、これもみんなには分かり難いことだと思うけど、概略だけいっておこう。これは今の医学の基礎となっている医学常識、学界では定説といわれているものだが、これに多くの間違いがあるらしいんだ……オレにもはっきりと分からないんだが、例えば人間の血液……」

「ねえ、逸平。みんな頭が痛くならないこと……? この話を聞いていると、わたし頭が痛くなりそう、ちょっと休憩しましょうよ。お紅茶をいれてくるわね……」逸平の話を聞いているうちに和江は疲れてきたようだ。逸平の話を端折り立ち上がる。

「あ、お義母さん、わたしがいれてきます……」恵美も一緒に立ち上がる。

「いいのよ、恵美ちゃんは。ちゃんと座っていなさいな。ね……」和江は恵美に心遣いをして優しくいった。

「いえ、お母さん、座ってばかりいると、余計に疲れてしまいそうなの。わたしがいれてきますから……」

「じゃ、恵美ちゃん、一緒にしましょう……仲良くね……」恵美を気遣い、先に歩かせながら和江がいう。

「あなたたち、ちょっとお休み時間よ。お茶をいれてくるからね」皆の方を振り返っていう和江だった。

 

 

恵美たちが楽しい団欒のひとときを過ごしている頃、堀口亘は北品川駅近くにあるかつての職場、外賀総合病院の前にいた。

つい先ほどまでは父の鬼塚喜八郎の家にいた。堀口の実家だ。

明後日の月曜日、中国・大連市の大連医科大学へ留学のため出発するにあたり、その挨拶に訪れたのだ。

大連の大学へ二年間留学する決意をしたことは、三週間ほど前に報告に来ている。

堀口が自分の決意を父に伝えたとき、彼は息子の考えを否定はしなかったものの、東洋医学というものは今の医学界において承認されるまでに、まだまだ多大な困難が控えていることを伝え、息子の留学を押し止めようとしたが、息子の固い決意を変えることはできなかった。

堀口は超革新学説といわれる『千島学説』を真剣に学んでいることは父にいわなかった。現代医学界の頂点に、内臓外科の権威者として君臨する父に、超革新医学説であるがために、今の医学界では触れることがタブーとされている千島学説の話をすることなど、まったく無駄だろうと思っていたからである。

 

その鬼塚教授が畑中博士から、その千島学説の話を聞き、少なからず関心を抱いたことなど堀口は知るよしもない。

この千島学説が、近い将来には必ず承認されるときが来ると堀口は確信していた。何時までも千島学説に触れることをタブーとしたり、無視していては、今の西洋医学による治療を信じきっている患者たちに、夜明けは訪れず、何時になっても暗黒の世界に閉じ込められることになる。

これは医師として弁解の余地がないと堀口は考えていた。

千島学説……この新しい医学説が自分の知ることになった多くの医師たちによって追試され、その正当性が認められ姶めたことに堀口は、その一員となれたことに、またこれからこの新説の実践ができるという夢をもてたことに、いいようのない喜びを感じると共に、身が引き締まるような感覚を覚える堀口だった。

たとえ、医学界がなおも無視を続けるとしても、自分たちだけでも千島学説について一層に理解するよう努め、正しい医療活動の推進に同士たる医師や東洋医学関係者、また協力してくれる人たちと共に努力していくこと。それが、今の医学を批判し、千島学説を基礎として、新しい第三の医学を普及することを志す者の使命であると堀口は考えていた。

この新説に触れる契機となったのが、堀口の古巣であった外賀総合病院の、瞬く間の崩壊だったとは実に皮肉な経過である。

 

警視庁の留置場では、このような犯罪者としての仕打ちを受けさせられることになった外賀総合病院の存在に、怒りをぶつけていたが、わずかニケ月余りという短期間のうちに、堀口は現代の西洋医学を捨て、革新医学の道へ、そして東洋医学の基盤を学ぶために中国へ留学するという大きな思考の転換をしていた。

もしも、あのまま外賀総合病院が存続し続けていたとしたら、現代医学界の保守的で排他的な居心地のいい、「大病院」という豪華な住まいのなかで、マンネリ化し、経営に重点をおいた治療に、ひたすら堀口も従事していたに違いない。

今の治療実態における、幾つもの矛盾や疑問に気づきながらもそれを指摘したとき、医学界からの追放を怖れるあまり、疑問点には見て見ぬふりをしたままで……

現代の医学治療への反論……これを現役医師がしたときには、間違いなく医師会から追放される。反論が正しいものであろうがなかろうが、先賢が発表した定説というものは神の告知ででもあるかのように、それが間違ったものでも崇拝しているのが、今の医学の基盤である。

米国・ロックフェラー大学医学部の教授、ルネ・デュボスは今の医学を次のように批判している。

 『現代医学は強力なエンジンと立派な設備をもった魅惑的な大海洋艦隊にも比すべきものである。しかし、この艦隊は羅針盤をもたず、その方向舵もきわめて貧弱なものである』

もし、日本の医学部教授がこのようなことを公表したら、大学からの追放か万年講師や助手といった冷遇を受けることだろう。

 『先賢が唱えた学説を批判してはいけない。間違いなどないんだ。流れに漂っているのがいちばん賢い生き方だ』という考えが身についてしまうのも当然かもしれない。

堀口は数日前、外賀総合病院の専務理事だった大日向の自宅へ電話をしてみた。あいにくその時には彼は留守で、電話に出た夫人に、お帰りになったら、自宅までお電話を頂きたいと、堀口の自宅電話番号を伝えておいた。

堀口は大日向の人間性が好きだった。間違ったことに対しては院長であろうが、他の役席理事であろうが手厳しく批判するという、誰にも媚びることのない性格に惚れていたのだ。

あの日、医師法違反として警視庁に逮捕されてから、釈放後も病院へ顔を出すことがなく、任意退職か懲戒解雇かのけじめもついていなかった。そのまま無断欠勤の形で病院を去っていた堀口は、このまま中国へ留学することは気持ちが許さない。

逮捕された経過はともかくとして、刑事事件の容疑者として長期の取り調べを受け、さらに略式裁判ではあったが、有罪として罰金刑の判決を受けた堀口だ。

如何なる病院であっても、これは内規として懲戒解雇になる要件を十分に満たしていた。

 

その日の夜、大日向から堀口の自宅へ電話が入る。大日向は堀口に何の援助も出来なかった謝罪をし、堀口は病院の体制によって被害を受けた、純然たる被害者であることはあきらかなことであるといい、いま会計士たちが精算している病院の財務状況と照らし合わせ、満足してもらえる数字にはならないが、手当の準備をしているといっていた。

大日向の人情味あふれる言葉に堀口は感激する。……専務のお気持ちだけで嬉しいです。もし、わたしへの分があったとしたら、それは若き命を断ってしまった、看護師の松川由美の遺族に病院からの弔慰金として贈って頂きたい……と堀口は大日向の厚意を謝絶した。

音をたてて急速に崩壊してしまった外賀総合病院の医師や看護師、また職員たちは晴天の霹靂ともいえる突然の解雇通告を受けたのである。明日からの生活に困窮する人が殆どだった。

幸いにも堀口にはそんな心配はまったくない。

大日向は、都内の私立総合病院の顧問として再出発することが決まったといって……また新人社員の気持ちに戻って頑張るよ……と元気に笑っていた。

そんな、かつての上司の元気な声を聞いて、堀口は大きな安らぎを得たように思えた。大日向に自分の決意を語り、十一月初めに大連の大連医科大学に留学のため出発することを伝える。

大日向は堀口の考えに賛同し……帰国したときには是非、その貴重な話を聞かせてほしい、他国の壁に押し潰されることなく頑張ってきてくれ……と力強く励ましてくれる。また堀口への解雇手当は看護師だった松川由美の遺族に贈ることも約束する。

そのときの大日向の声が今も堀口の耳に残っていた。

 

堀口の愛車、アウディ4000のフロントガラス正面からは、懐かしい外賀総合病院の白い8階建ての本館が、周囲の明かりを受けて暗闇のなかに見える。正面の3階建ての診療棟は、目に見える部分の全体に、建設工事中の現場のように白く見える覆いがかけられていた。

以前、健在だったころの病院本館には夜間、スポットライトとネオンが輝いていた屋上は闇のなかにあった。

往時の繁栄は夢の彼方へと消え失せている……

警視庁から釈放されたその日、堀口がちょっと寄ってみたこの病院は、警察関係者たちとマスコミのテレビ中継車やその関係者たちに取り囲まれていた。しかし、そのときは、そんな騒ぎのなかでも外賀総合病院の存在は確実に認識できたのに……

正面、診療棟前のロータリー入口には、太いロープが三本も張られ、最上部のロープには『立入厳禁・警視庁』という、赤や黄色のプラスチック製らしい札が幾つも下がり、通過する車が起こす風に吹かれ揺れている。

玄関にも、また見える限りの窓にも当然ながら明かりはない。

時折り、早く流れる雲の切れ間からのぞく、月の光に照らされるが、すぐまた闇のなかに沈む。

人の気配がまったくない建物、それも病院と分かっている者には、寂寞さではなく幽鬼さが漂っているように思えて無気味だ。

ロープが張られた内側の至る所に紙袋、週刊誌、新聞紙などがわざと撒かれたかのように散乱していた。あげくにはカップ麺の容器やコンビニ店の弁当らしきものが入ったビニール袋があちこちに捨てられている。見物にやってきた野次馬たちが捨てていったものだろう。

マナーの悪い人間たちに怒りを覚えるとともに、堀口はいいようのない哀しみを感じていた。まだ残務整理をしている職員がいるのではないかという、わずかな期待も消えてしまった。

大日向の話によると、この病院の敷地と建物の全部を、大阪・中央区にある私立医科大学が、付属病院の東京病院として使用するために、資産管財人と買収交渉中だという。

取り壊されるのではなく、病院名は変わっても今の形が少しでも残っていくかも知れないと思うと、わずかだが救われるような気になる堀口だった。

種々雑多なゴミが投げ込まれ、廃虚と化してしまった、かつての古巣を見ていると、脳裏にいろいろな思い出が次々と浮かんでは消えていく。

十年と数ケ月、医療活動にたずさわってきたこの外賀総合病院のなれの果てを見ている堀口の目に涙が滲んでいる。

予想だに出来なかった余りにも急激な崩壊だった。外賀病院長の麻薬事件ばかりではなく、病院ぐるみの詐欺事件にまで発展するとは、堀口は想像ずらできないことだった。内科医長といっても一医局員にすぎない。経営部門でなされていた不正操作など伝わってくるはずがない。警視庁に留置されて取り調べを受けていたときも、堀口が関連した松川由美の医療ミスヘの事情聴取より堀口がまったく知らない病院長、外賀萬蔵の外部者との交流状態や事務局や薬品管理部の状態などを繰り返して聴取された。

松川由美が津軽海峡で投身自殺をしてから、堀□たち医局員を始め、看護師や事務関係者たちは、ずっと精神的な苦痛を強いられていた。警視庁の捜査員たちは毎日のように病院を訪れ事情聴取と称し、医局員や事務関係者たちを次々と任意同行していく。

次は誰だ、まさか自分では……と戦々恐々とした日々が続いていた。なかには出勤しなくなった事務職員がいたが、そうした職員には警視庁係員が自宅まで赴き、任意同行していった。

すべての職員を容疑者としてみる警察当局の動向に、怒りを覚える前に皆の心は警戒心が強くなり、同僚たちに不満をもらす者もいなくなる。壁に耳あり……としてお互いが疑心暗鬼となったのだろう。

(つづく)

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