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革新の生命医学情報 No.22

生命・細胞・血球の起源④

【9】細菌の起源

① 原生物界と前生物界

ミンチンは植物界と動物界との共同祖先を、ヘッケルにならって原生物界とし、これにバクテリアや単細胞藻類、菌類、原生動物を含めています。動物と植物とを究極的にまた明確に区別することは困難ですからこの分類は意義あるものといえます。ミドリムシ、粘菌類のような植物鞭毛虫類は植物と動物の両方に分類されており、これらを総括して原生界に含ませるのも妙案といえます。

もともとが葉緑素の有無、栄養摂取の方法によって植物と動物に区別しようとすることは実際として不可能なことは、あとで述べます淡水海綿のように、組織の大部分が葉緑素からなるクロレラから構成されていることからも分かります。

だいたいが連続的である自然や生物を分類して考えることは、人為的な無理が生じてしまいます。そこで千島喜久男は定型的な細胞構造をもっていない、バクテリアや菌類、単細胞藻類などを一括して動物界、植物界に対する一つの界として原生物界とするヘッケルの提案に賛同しています。そして、もし必要とすればバクテリア界の下次段階として前生物界を設け、リケッチアやウイルスをこれに含めるのも一方法ではないかと提案しています。

② 細菌は細胞か?

(1) 細菌に細胞的構造はあるか?

生命というものは生物がもつ特性であり、また構成単位は細胞であることは現在の生物学における常識になっています。そして細菌は生物であるとされていますが、生物だとしたら細菌というものは果たして細胞なのかという疑問が生じてきます。この問題から考えてみましょう。

細菌は一見して核のような物質を含んでいることは一般に知られています。ウイリアムは或る細菌は他の細胞と同様な構造と官能をもっていると考え次のようにいっています。

『大部分の細胞学者は細菌は核様体をもっているということに意見が一致している。そしてレバーグは細菌中で遺伝子が線状に配列し、遺伝子の分離や高等生物とは異なるが性的結合などが起きると報じている。もっともこれは或る種の細菌にのみ見られたことである』といい、さらに『実験結果から細菌に核構造があること、形質分離の現象が見られ、細菌がより高等な生物に進化するものである』といってレバーグの説に賛同しています。レバーグはその後多くの研究者の仕事や自分の研究を総合して『細菌は有性生殖を行うほかの生物と同じような遺伝的現象を示す』として細菌の細胞としての条件を充たしているとしています。細菌が定型的な細胞構造をもつということは多くの疑問があると千島喜久男はその著書に述べていますが、ウイリアムがいうような、より高等な生物に分化するという可能性については認めたいといっています。

(2) 細菌に核はあるのか?

この件については、古来から異論が氾濫し今日においても結論は出ていません。或るものは核の存在を否定し、また或る研究者は細胞核の存在を主張しています。

ブラドフイールドは研究の結果、細菌の核と動植物の細胞核とは著しい相違があることを知り、核の進化について次の様な段階があるのではないかと考え報告しています。

a……DNAとRNAとを共に含んでいるが、染色体構造、核、核小体などはまだ存在しない状態、即ち小又は中等大のウイルスの段階。

b……DNA及びRNAがほぼ形成された核内の特殊構造中(染色体及び核小体)に位置し、その核は直接分裂で増殖する細菌又は大型ウイルス。

c……動植物細胞の核であり、完全に分化し且つ有糸分裂によって増殖する核の状態。

という段階です。これは一応はもっともな考えだと思われますが、千島喜久男はつぎのような批判をしています。即ち……

『①は、まったく核酸の存在しない所に先ずRNA、次にDNAが現れ、次いで主としてDNAを含む核に変化すると考えるのが妥当。②細菌増殖は分裂によってのみ起きるということを基礎にしているが、これは間違った考え。③動植物細胞は凡てDNAを含む定型的な核ばかりだと考えることは妥当だといえない。鳥類、哺乳類、両棲類、昆虫その他の動物でも、また高等植物の細胞でも、いつも定型的(化学的にも形態的にも)な核をもつとは限らないことは、私の研究結果からはっきり云えることである。言い換えれば、生理的ウイルス→細菌→動植物細胞という過程をたどる核合成過程は、細胞の核質を形成する過程として動植物に共通の現象である』と。

多くの研究者が動植物の細胞核に共通した核の存在を主張していますが、これについても千島喜久男は彼らが提示している図を見ても『いわゆる分散核の域を出ないものであり、また細胞分裂像だとしている図も両端染色性菌の範囲を出ないもので、当然に紡錘糸や染色体などは示されていない』としてその妥当性を否定しています。

正統派の研究者たちは細菌の核は一般の細胞核と同様に分裂すると強く主張していますが、それは疑いなくウイルヒョウの正統細胞学の原理を細菌の世界にまで適用しようとしているためでしょう。なぜなら、自然状態では決して細胞は分裂するものではないことを千島喜久男が確認しているからです。細菌は有機物質から自然に発生し、また細菌はいつまでも細菌のまま存在するのではなく、融合と分化によってより高次の生物へと進化するのが通常の発育過程なのです。

③ 原生物はバクテリアか、それとも藻類か?

(1) 地球上の最初の生物

生命の起源、いわゆる地球上へ最初に出現した生物を探求するとき、私たちはこれを二つの点から考える必要があります。一つはその生物が細菌か藻類かということ、次はその生物が栄養摂取をしているかということです。この二つは最終的に一つに帰すべきことですが、どれも主として現在の地上における最下等生物から推測するほかありません。微生物の化石はまず見つからない筈。生理学、生化学的研究にしても、今から何億年も前の地球の状態と現在とはまったく異なっていますから、推測自体が雲を掴むようなことになるのは当然です。ならばどのような方法で推測すればよいのか……? 千島喜久男はこのように云っています。

『生物の進化過程には履歴反復性がある。生命は歴史的所産であり、その歴史は反復して繰り返されるという重要な根本原理を基礎として研究するとき、生命の起源の探求に対しても大いに役立つものだと確信する……』 地球上に初めて出現した生物が、葉緑素をもち自ら養分を合成する現在のような植物だったか、或いは自然に合成される有機物が存在し、その上に発生してその有機物を摂取し成育する他養性のものであったかはまだ解明されていません。しかし、支持者の数からいくと他養説が現在は優勢になっているようです。また、最初の生物がバクテリアであったか、それとも藻類であったかも大きな問題です。オズボーンは細菌だったと主張し、オパーリンは藻類だったと云っています。バーナルは光合成を行う生物の前に、既に生命は出現していたと考えていましたから、藻類よりバクテリアを先行者と見ていたようです。結論についての千島喜久男の判断は、物質代謝の方法についてはオパーリンの有機物上に藻類が発生したという他養説を、また生命形態については藻類よりバクテリアが先に発生したというオズボーンのバクテリア説に賛同しています。

オズボーン(細菌先行説)とオパーリン(藻類先行説)の考えは次のようなものです。

(2) 藻類が地球上に最初に発生したという説

ユーラーは『マレー群島中のクラカタウ島の火山が1883年に大噴火を起こし、この島の生物は絶滅した。噴火の2ケ月後に調べた結果、島全体が噴石で覆われ、火山灰は平均30米、場所によっては60米の厚さに堆積していた。その後1886年にトラブが島を訪れたとき、山腹の渓谷に露出している岩石の表面に初めて青緑藻が繁茂していた。検索した結果それは藻類とバクテリア及び珪藻が一緒になったものだということが分かった……』と報告しています。

これらは胞子が風によって運ばれてきたものと推測されます。この藻類は念珠藻類に属するものだったといいます。念珠藻は空気中の炭酸ガス化合物から葉緑素の作用で糖質を合成します。またこれは空気中の窒素を同化する働きをもっています。この観察結果と岩上に最初に現れたのが念珠藻だったことから類推すると、地球上に最初に出現したのは分裂藻類だろうとユーラーはオパーリンの藻類先行説を支持しています。しかし、千島はこの藻類が現れる前に、肉眼では観察できなかったバクテリアのほうがずっと先に発生していた筈だといっています。

(3) 細菌が地球上に最初に現れた生命体だとする説

a……オズボーンはその著のなかで『地球上に最初に発生した生命形態は細菌であり、藻類はそれが進化した高次のものである』といっています。この点、ユーラーやオパーリンの説より一層に妥当な見解だと千島はこの説に賛同しました。オズボーンはまた『地上又は海中に最初に細菌様生物が現れ、それが動植物進化の先駆となり基礎となった。その数は無数である。細菌というものは栄養摂取の方法が最も原始的であるばかりでなく、生命化学の原始状態を現在ももっている残存者である。これらの細菌は栄養やエネルギーを無機物から直接摂取する。(この部分について千島はこの摂取法は一種の自養説であるとして批判している)このような細菌は地球上にまだ他に生物がいなかったとき、いわゆる葉緑素をもつ藻類が繁茂する前に発生し繁殖していた。この種の細菌のなかには多分、始世代から残存している原始的食性のヨーロッパ産のニトロソモナスがあり、それは鉄、マンガン、燐などの存在の下で酸化酵素の相互作用によって酸素をとって呼吸する。個々の細胞(細菌)は、こういったことから有力な小化学工場といえる。この細菌はもっと原始的な時期には硫酸アンモニウムを食べ、アンモニウムから窒素を摂取し亜硝酸塩を形成する。この細菌は自らが合成した亜硝酸塩を食って生きている硝化バクテリアと共存生活をする。この二つの種は生物とその生活環境との相互作用の最も単純な型である』と先行細菌のことを詳しく説明しています。

また硝化バクテリアについて『この細菌はアンモニア化合物から窒素を摂取するので硝化バクテリアと呼ばれている。この硝化バクテリアが土壌中で作用することによって、アンモニアと炭酸ガスをエネルギー源とする前葉緑素的微生物を発育せしめることができることを、初めてヘラウスが発見した。この種の細菌は生物がまだ発生していない地表や水に作用して、下等植物が出現しやすいような化学的変化を与えた……』と地球上に初めて発生したと思われる硝化バクテリアについて詳しい説明をしています。この説明で細菌が有機物を摂取して増殖するといっていますが、むしろ有機物を母体として細菌が自然発生すると観るのが妥当だと千島喜久男は述べています。

b……化石細菌と藻類についてオズボーンは次のような事実をその著に記載しています。

『化石細菌はモンタナの始生代地層の石灰岩中に発見された葉緑素をもった藻類の切片から見出されたものである。この細菌は炭酸ガスを含む単純塩を摂取して生きている、他の硝化バクテリアと関係がある……』と。このことは細菌が藻類よりも一層原始的であるという千島の説を支持する証拠ともいえるでしょう。なぜなら、藻類の化石中に細菌が含まれているということは、細菌→藻類へ進化するという千島の主張が正しいということを暗示しているからです。

④ 藻類が原始生物だとするオパーリンの説

オパーリンは栄養物の吸収及び同化ということから、地上に最初に現れた原生物は一般に考えられているような細菌ではなく、下等藻類だったと主張しています。

『如何なる生物の種類でも、過去の一時期に無機物を栄養源として摂取することが可能であったことを示す器官の萌芽は見られない。現存生物の大部分は有機物栄養生活、即ち栄養源として有機化合物のみを利用できるしくみになっている。凡ての下等及び高等動物、ほとんどのバクテリアや細菌がこれに属する。しかるに典型的な無機栄養生活をする緑色植物は有機物を利用する能力も十分に保有している。特にジュズ藻、珪藻類、アオミドロにおいては無機質利用能力があるにも拘わらず、汚水中の有機物が多い所では成長が著しく良好になる』といっています。この有機物が豊富な所では藻類の成長が非常に活発になることにオパーリンが疑問を抱いていることへ、千島は次のような批評を加えています。『オパーリンは汚水中のバクテリア或いは珪藻が他の藻類に有機物栄養源として摂取(合体)される事実を観察したことがないようである』と。

オパーリンはこれらの緑色下等植物は最初、有機物(原始水圏に多量に存在していた)を摂取する能力をもっていたが、その後の進化過程において新しい組織形態が付与され、2次的に無機物を利用しうる能力を獲得したのだと説明しています。その結果、無機物栄養生活ができる硝化バクテリア、硫黄バクテリア、鉄バクテリアなどが最初に現れた生命形態だと主張するオズボーンの説を否定してこれらの生物は進化の本道からわかれた単なる側技的なものだと述べており、ベルナールもこのオパーリンの考えに賛同しています。

⑤ 上述した2説に対する千島喜久男の意見

地球上に出現した生物として、バクテリアが先か藻類が先かという問題はオパーリンのように生化学的な見方によってだけでは解明されることではない。少なくとも私は生物学の立場から見た限り、次の理由からオパーリンの見解をそのまま鵜呑みにするわけにはいかない。

(1) バクテリアと藻類の構造、大きさの点……藻類は核様体をもちより大きく、構造においても一層に複雑である。バクテリアは分散核をもっているが凡ての点でより原始的である。私の観察によればクロレラはまだ定型的な核はもっていないが、バクテリアから進化する可能性があるものと考えている。

(2) アオミドロその他の緑藻類はバクテリア、珪藻を合体して自らを成長せしめる事実を私は観察している。その他、進化論的見地から見て、藻類がバクテリアよりも原始的なものであるという証拠は何処にも見あたらない。

(3) オパーリンは『最初のエネルギー代謝形式は全く嫌気的過程であり、もっぱら水の分子と有機物質との相互作用に依存したのである』といっている。このことは水中における藻類の発生や私の観察した空気を遮断したスライドカバー方式においてのバクテリア自然発生の事実とも矛盾せず、従って藻類がバクテリアより原始的だという理由にはならない。

緑藻類は既に葉緑素をもち、光合成を行うがバクテリアにはそれがない。しかも生物誕生の創始期には今日のように強い太陽光線は地上に達していなかったということから考えても、バクテリアがより原始的な生物で、藻類発生のずっと以前から地球上に発生していたと考えるのが妥当だろう。最近はオパーリンも最初の生物は藻類であったという主張はしていない。

この『細胞と生物』の項で千島喜久男はウイルスの起源と本性についても述べていますが、次々と変身を重ねているウイルスには、種族保存の本能という生物特有の特質がないのではないか。生物ではないとしたらこれは何なのか……と編者は考えており後に折りを見てこの問題を取り上げたいと考えています。


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